
はじめまして、NAMIです。
私は、2021年1月よりタロット占い師としての活動をスタートしました。
もともとは旅行が好きで海外や国内を飛び回っていた平凡な会社員だった私は、まさか占い師になるなんて1ミリも思ってもいませんでした。
そんな旅好きな私が突然占い師に転身した経緯をお話します。
22歳〜25歳。占いとは無縁。過酷な会社員時代に突入
4年制大学卒業後、就職氷河期だった私は就活に苦戦していました。
特に取り柄もなく、特に「これがやりたい!」というパッションもなく、たまたま内定がもらえた証券会社に入社しました。
2011年に社会人デビュー。
ノルマも仕事内容も過酷だった営業職。
なんとなく毎日会社と家を往復し、休みの日は友達や彼氏に会ったり頻繁に出かけていた普通の会社員でした。
良いお客様に恵まれ、仕事にやりがいは感じてたけど、夢も目標もありませんでした。
とりあえず「いつか会社で表彰されるような優秀な社員になろう」とは漠然と思ってたくらいでした。
しかし、入社3年目になってようやく自分の将来について真剣に悩むようになりました。
その時は仕事も恋愛も停滞期。。
会社では上司に毎日怒られるようになり、当時付き合っていた彼氏にも浮気をされ、ダブルパンチで精神的に病んでしまったのです。
ひどい時は食事も喉を通らないほどでした。
このままではまずい!と思い、3年間勤めた会社を退職しました。
25歳夏。仕事も恋愛も、身も心もボロボロ。オーストラリアに旅立つ

仕事も恋愛も上手くいかず身も心もボロボロだった25歳の頃、転職先も決めてないまま証券会社を退職した私。
これまでに年に一回の長期休暇で海外旅行に行くのが好きだった私は、転職活動をする前に海外に行きたいと思いました。
オーストラリアで動物園の飼育員が体験できるボランティアツアーに申し込み、10日間のホームステイを経験しました。
大学では英語を専攻していたものの英語を話すことが苦手だった私は、最初はホストマザーとうまくコミュニケーションを取ることができませんでした。
でも、英語が苦手な私でも10日たった頃にはホストマザーの言っていることが大体わかるようになっていました。
オーストラリアの田舎の方でホームステイをしていたので、色々な人が日本人の私に興味を持ってくれて嬉しかったし、この旅のおかげで私は英語にも自信を持てるようになりました。
25歳〜27歳。転職。海外にさらに魅了され海外渡航を決意

オーストラリアから帰国後、すぐに転職活動をはじめました。
大学生の頃は就活に何ヶ月も苦戦してたのに、転職活動はたったの2週間で3社から内定をもらいました。
第一志望の外資系企業に入社することができ、空港勤務だったため、旅行が好きな私にとっては毎日ワクワクする職場でした。
職場では、留学・ワーキングホリデー(以下よりワーホリ)経験者、海外駐在経験者、帰国子女、バイリンガル、トリリンガルなど、海外経験豊富な同僚ばかり。
彼らはよく海外の話をしてくれて、その時の目はいつもキラキラしていました。
私も旅行ではなく海外に住んでみたいという気持ちが芽生え、そのことを同僚に話すと全員口を揃えて「絶対に行った方が良い!」「絶対に良い思い出になるよ」と背中を押してくれました。
空港でのお仕事や会社の同僚たちが大好きだった私は、退職が惜しかったものの、「自分の人生に後悔のないように生きたい」という強い意思がありました。
2年間勤めた外資系企業をついに退職し、海外渡航を決意。
そのあと3年間、私は海外で過ごすことになりました。
27歳冬。留学・ワーキングホリデーへ旅立つ

1ヶ月間、留学料金が格安のフィリピンへ英語留学したのち、ずっと行くのが夢だったニュージーランドで、ワーホリビザで約1年間過ごしました。
最初に1ヶ月間だけ語学学校に通い外国人の友達がたくさんできました。
カフェでバリスタをやってみたり、日本食レストランでウェイトレスやキッチンスタッフをやってみたり。
最初の半年間は、ニュージーランドの大都市オークランドで過ごし、そのあとはクライストチャーチに住み、ニュージーランド全土を旅しました。
海外生活にどんどん魅了され、ついには日本に帰りたくなくなった私は、ニュージーランドを満喫しきった後は直接オーストラリアへ入国し、オーストラリアでもワーホリをすることを決意しました。
オーストラリアにはトータルで2年間いました。
農業のお仕事にハマり、一年以上は野菜や果物の収穫のお仕事をしていたので肌は真っ黒。
はじめの半年間はブリスベン付近の田舎町で過ごし、その後はケアンズ方面へ移動。
オーストラリアワーホリ2年目はメルボルンで過ごし、レストランでウェイトレスをしたり家事代行のお仕事をしました。
英語も上達してスラスラ話せるようになり、たくさん旅することができ、オーストラリアも大好きな国になりました。
大変なことも多かった海外生活でしたが、夢のような海外生活3年間。
占い師になるなんて、この頃も1ミリも思っていません。
ついに帰国の時がきました。
30歳秋。日本に帰国。人生に絶望感再び

2019年末に日本に帰国した私は絶望感でいっぱいでした。
ニュージーランドもオーストラリアも大好きだったので、成田空港に飛行機が着陸した瞬間に涙が溢れました。
嬉し涙ではなく悲しい方。
「悔いのない人生を送ろう」
そう思っていた私は、会社に入らずにやりたいことを全部やり尽くそうと思いました。
やってみたかったリゾートバイト、友人に誘われてジュエリー販売のショップ店員、インターネットビジネスにも挑戦しました。
2020年の5月末からはアイルランド、その後はカナダでもワーホリしようと計画していました。
「インターネットビジネスで成功して、日本でも海外でも好きな場所で働ける体制をつくろう!」と頑張ってましたがなかなか上手くいかず、同年、コロナ禍が深刻になり私の海外計画は水の泡になりました。
2020年はずっと、自分の将来について真剣に悩みました。
そんな渦中で、ついにタロットカードに出会ったのです。
31歳夏。タロットカードに出会う。

社会人になってからワーホリで帰国してからも、転々と場所を移動し続けていた私は、インターネットビジネスも一旦お休みして、久しぶりに実家に帰ることになりました。
1ヶ月以上実家にいるのは外資系企業に転職した時以来!
自分の部屋は子どもの頃のまま。
机の引き出しの中も子どもの頃のまま。
私は部屋を片付けることにしました。
ゴミ袋がいっぱいになるまで物を捨ててた中、机の引き出しの中から”タロットカードの解説書”が出てきました。
その存在をすっかり忘れていましたが、小学生の頃はマンガが好きで、当時母に買ってもらったマンガ雑誌にタロットカードが付録でついていたのです。
肝心のタロットカードは見つからなかったのですが、綺麗にとっておいていた解説書だけを発見しました。
大人になってからも占いは好きだったけど、子どもの頃から占いが好きだったことはすっかり忘れていました。
大切に保管されていたその解説書を発見した私は、「タロットカードを読めるようになりたい!」とすぐに独学で勉強を始めました。
覚えていくうちに、占いを仕事にしたいと思うようになり、先生がいる講座も受けるようになり本格的にタロット占いを覚えました。
31歳冬。師匠に出会う。プロの占い師になる

タロットカードを習得後、トントン拍子に物事が進み、サラ氏に出会い、弟子入りすることになりました。
タロット占い師のプロデビューはまだ程遠いと思っていた私は、サラ師匠との出会いで急速に願いが叶い、2021年1月より師匠のもと念願のプロデビューを果たすことができました。
師匠には感謝してもしきれません。
同年4月、独立起業。
現在はフリーランスの占い師、起業コンサルタントとしても活動しています。
エピローグ
仕事のことや将来のことなどたくさん悩んでた私は、タロット占い師になり仕事も楽しく、毎日幸せを感じています。
現在は日本を拠点に活動し、将来的には海外進出を果たしたいと思っています。
日本人だけでなく海外の人たちにも勇気や希望を与える存在になりたい。
「グローバルに、未来に希望を与える」をモットーに、占い師としての肩書きだけにこだわらず、今後は占い以外のジャンルにもチャレンジしていきたいと思っています。
これからも良いサービスを提供できるよう精進してまいります。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
NAMI
\ラジオ(stand.fm)で音声配信もやってます/
チャンネル名「海外旅好き女が突然占い師になっちゃった」